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長野地方裁判所伊那支部 昭和50年(ワ)47号 判決

原告

北原秀雄

右訴訟代理人弁護士

林百郎

(ほか三名)

被告

アジア無線株式会社

右代表者代表取締役

久保村保市

右訴訟代理人弁護士

久保田嘉信

(ほか四名)

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  原告が被告との労働契約に基づき、被告従業員としての地位を有することを確認する。

2  被告は原告に対し、昭和五〇年五月より、毎月二九日限り一か月金五万二、四二〇円あて支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び第2項につき仮執行宣言

二  被告

主文第一、二項同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は電気通信器具部品(主として抵抗器)の製造販売を目的とする資本金二、七五〇万円の株式会社であり、原告は昭和三八年一〇月三〇日に被告に雇用され、以後主として抵抗器の本体たる碍子に溝をつけるカッティングと称する作業(以後単にカッティングという。)に従事していた。

2  被告は昭和五〇年一月二四日原告に対して解雇の意思表示(以下本件解雇という。)をした。しかし本件解雇に正当な理由は存在しない。

3  原告は本件解雇前の三か月間に被告よりつぎのとおり賃金を支給(賃金支払日は毎月二九日)され、右三か月間の平均賃金は金五万二、四二〇円であった。

昭和四九年一一月分

金五万八、三二〇円

同年一二月分

金五万六、五五〇円

昭和五〇年一月分

金四万二、三九〇円

なお原告は昭和五〇年二月一二日被告が提供する金一五万七、八六〇円を将来の賃金の一部として受領したが、右金員は同年二月分から同年四月分の賃金に相当する。

4  よって原告が被告との労働契約に基づき被告の従業員としての地位を有することの確認を求めるとともに、被告に対し昭和五〇年五月より毎月二九日限り一か月金五万二、四二〇円の割合による賃金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項につき、被告の目的及び資本金の額の他はすべて認める。被告は電気機械器具製造販売を業とし、資本金は金四、五〇〇万円である。

2  同第2項中、被告が原告主張の日に原告に対して解雇の意思表示をしたことは認め、その余は否認。

3  同第3項、認める。ただし被告が昭和五〇年二月一二日原告に支給した金員は原告の退職金の趣旨である。

4  同第4項、争う。

三  抗弁

1  被告は昭和五〇年一月二四日原告に対し解雇予告手当金五万五、二六〇円を提供して解雇の意思表示をしたが、その解雇理由はつぎのとおりである。すなわち

原告には身体上の欠陥があり、能率が著しく低劣で配置転換する見込みもないところ、被告においては原告の従事していた手動カッター作業は採算に合わないため廃止しなければならないこと及び不況による人員整理を行うに当ってその対象とせざるを得ないこと等の理由により、被告の就業規則第一五条第一号「精神又は身体の障害により就業に堪えられずその回復の見込みがないとき」、同条第四号「技倆、能率が甚しく低劣で配置転換するも見込みなく、従業員として不適当であるとき」、同条第五号「事業の縮小、人員過剰等により事業上止むをえない事由が発生したとき」にそれぞれ該当するものとして本件解雇をした。

2  本件解雇はつぎのとおり正当である。

(一) 本件解雇に至るまでの経緯

(1) 原告は昭和三八年一〇月三〇日手動カッター要員として被告に雇用されたが、当時被告においてはカッティング工程は全部手動であったところ、昭和四二年四月ころより自動化が進み、昭和四三年ころには全自動化されて、手動カッターでは企業としての採算がとれなくなってしまった。

(2) すなわち被告においては、手動カッターの一人当りの平均日産額は四〇〇〇本、日産総額一五万本(外注を含む。)であった。ところが自動化により一人当りの平均日産額は二〇万本、日産総額七〇万本となり、そのため自動化によるカッティング工程は三名で足りることとなって余剰人員が生じたので、被告はカッティング工程要員の配置転換を行ったが、原告については他に適当な業務がなかったので止むをえず昭和四四年二月八日第一回目の解雇通告をした。

(3) しかし被告は原告の事情も汲み取って右解雇通告を撤回し、同年三月ころ原告を塗装工程へ配置転換し塗装作業に従事させたが、MT塗料及び新しい冶具の導入により塗装作業の能率が倍増し、原告では右冶具を使いこなせなくなった。

そこで被告は原告一人のために再び採算のとれない手動カッター一台を設置して原告にカッティング業務を提供してきた。

(4) ところで手動カッターはリード線がついた材料を利用するが、自動カッター用の材料はリード線のついていないものであるため、自動化の普及により市場からリード線のついた材料の仕入れができなくなり、手動カッター用に社内でリード線をつける作業をして材料の用意をしなければならなくなった。以上のような事情の下で被告においては不況で受注が減り全く採算のとれなくなった手動カッターを廃止せざるをえなくなり、さらに第一回の解雇通告より相当期間経過して原告の生活設計の準備も整ったことも勘案して、被告は昭和四九年七月二〇日付で原告に対し第二回目の解雇通告をするに至った。

(5) ところが被告は原告から同年一二月には自主退職をするから待ってほしい旨の申入れを受けたので、右解雇通知を撤回した。しかし原告は同月を経過しても自主退職をしなかった。

(二) 本件解雇の正当性

(1) 昭和四八年春に襲った「石油ショック」に伴う不況は昭和四九年に至ってますます深刻の度を加え、同年秋ころからは戦後最大の不況となった。被告においても例外ではなく、受注は減少の一途をたどったすえ、同年暮ころには極端に減少し、それとともに在庫は増大し、資金繰りも極度に悪化した。そこで被告は人員削減を含む緊急策をとらざるをえなくなり、同年一二月から昭和五〇年一月にわたって原告を含む合計二七名の従業員を整理するとともに、同年一月から同年三月まで一週間三日出勤、四日休みとする一時帰休を実施しただけでなく、年末年始の休業を平常年の約二倍の期間に拡げ、被告の役員、課長、係長等の職制について最低一〇パーセントの賃金カットをして経営危機の乗り切りをはかったが、被告の右のような経営状態は被告の就業規則第一五条第五号の「事業の縮小、人員過剰等により事業上止むを得ない事由が発生したとき」に該当する。

(2) 不況対策として右のように実施した人員整理において、被告はまず希望退職を募り、就業規則上実施していなかった停年制の実施をし、ついで被告の解雇事由に該当する従業員を対象として順次整理解雇を実施した。

(3) 自動機による抵抗器一本当りの工賃は金五銭であり、原告の手動式カッターによる生産量は一日四、〇〇〇本であるから、原告の一日当りの工賃は金二〇〇円、一か月二五日稼働したとしても金五、〇〇〇円にしかならない状況のもとで原告に一か月平均金五万二、四二〇円の給料を支給していたのであって被告としては明らかに採算がとれず、材料の入手難と併せて被告としては手動カッターを廃止せざるをえなかったが、原告はその体格が五才ないし六才の児童の体格にほぼ等しいという特徴を有しており、他の職種への配転は不可能であった。

また被告は第一回目の解雇を撤回した昭和四四年から昭和四九年七月二〇日第二回解雇通告をするまで五年間も採算のとれない手動カッターの仕事を原告に提供してきたのであって、被告は手動カッター要員として原告を採用した企業の社会的責任を十分尽した。

原告はタイプ印刷の技能をもっており、被告に勤務する傍ら「北原タイプ印刷」という看板を掲げて自営していたが、被告及びその関係者は原告にタイプ印刷の注文をするなど原告に協力してきた。

以上のような事情のもとで、被告は、原告を就業規則第一五条第一号「精神又は身体の障害により就業に堪えずその回復の見込がないとき」、同条第四号「技倆、能率が甚しく低劣で配置転換する見込みもなく、従業員として不適当であるとき」にそれぞれ該当する者として解雇の対象者としたのである。

3  解雇の承諾

原告は昭和五〇年二月一二日その自宅において被告より退職金一五万七、八六〇円及び解雇予告手当金五万五、二六〇円の提供をうけて異議を止めることなくこれらを受領したが、原告は前二回の解雇通告時にはいずれも解雇予告手当の受領を拒否して解雇の撤回を求めたのであり、本件解雇に当っても同年一月二四日被告が提供した解雇予告手当の受領を一たんは拒否しながら、右のように被告の再度の提供に対しこれを受領したことは、昭和四九年七月二〇日の第二回目の解雇の撤回に際し、原告が同年一二月末には自主退職する旨の意向を示したことを考え合わせれば、右各手当の受領は解雇の承認とみなすべきであって、原告と被告との雇用契約は遅くとも昭和五〇年二月一二日には原告の右承認により終了した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁第1項につき、被告が原告に対してした本件解雇において、昭和四九年後半期の不況により原告の従事していた手動カッターは採算に合わないので廃止しなければならなくなったが、原告には身長一〇八センチメートルという身体上の欠陥があるので他に原告の行いうる適当な業務はないということを理由としたことは認め、その余は争う。

2  同第2項について

同(一)の(1)につき

被告におけるカッティング工程が昭和三八年ころ全部手動であったところ昭和四三年一〇月ころ自動化されたことは認め、原告が手動カッター要員と限って採用されたとの主張については否認。

同(2)につき

被告がカッティング工程要員を配置転換した事実及び被告が昭和四四年二月八日原告に対して第一回目の解雇通告をしたことは認めるが、被告における日産額の主張については不知。被告が原告に対しことさらに配置転換をせず解雇通告をしたのは、他に適当な業務がなかったからではなく、後記のような原告の労働組合活動を嫌悪したからである。

同(3)につき

被告が右解雇通告を撤回したこと、被告が原告に対し塗装工程への配転を命じたがすぐカッティング工程へ戻したことは認めるが、被告が解雇通告を撤回したのは、被告が原告の事情を汲み取ったからではなく、長野県機械金属単一労働組合(以下単一労という。)が右解雇は不当労働行為であるとして争い、団体交渉等をして闘った結果であるし、被告が原告をことさらに採算の合わない手動カッティング部門に再び戻したのも、機会を見て原告を解雇することを狙っていたためである。

同(4)につき

被告が原告に対し第二回解雇通告をしたことは認め、その余は争う。手動カッター用の材料は自動式の機械でも工程の順序を変えるだけでたやすく製造することができ、現に被告においてはこれを製造していた。

同(5)につき

被告が第二回解雇通告を撤回したことは認め、原告が自主退職するから待ってほしいと申入れたことは否認。被告が右撤回をしたのは、被告の戸田工場長から原告に対し「手動カッターを自宅へもっていって内職をやってくれれば仕事は発注する。」という申出があったので、原告が同工場長に「仕事量は本当にあるのか。単価はいくらにするのか。」等と問いつめたところ、同工場長は答弁ができず、そのまま解雇通告を撤回したものである。

同(二)の(1)につき

被告が昭和四九年一二月から昭和五〇年一月にかけて原告を含む合計二七名の従業員を整理したこと及び昭和五〇年一月から同年三月中旬まで一週間三日出勤制という一時帰休を実施したことは認め、その余は争う。

同(2)につき

不知。

同(3)につき

工賃及び数量は不知。その余は争う。被告が原告に対し手動カッターの仕事しか提供しなかったのは、原告を排除しようとする被告の政策に基づくものである。被告は原告が他の業務に従事できる能力があるのにこれを無視し、原告の労働組合運動を恐れて、原告をいつの日にか排除するためにわざわざ手動カッターを一台だけおいて原告に当てがっていたのであって、この間の被告の原告に対するやり方は人道的にも全く許すことのできない「みせしめ」としての性質をもつものであった。

また原告は他の職種での作業は可能であった。すなわち被告の製造する抵抗器は碍子の圧入組立(枠はめ)、カッティング、(リード熔接)リード線の取り付け、塗装、整理、検査、袋詰め、テーピング等の各工程を順次経て製造されるが、右工程のうちカッティング、塗装等の機械化された工程では、身長一〇八センチメートルの原告でも機械の傍らに高さ四〇センチメートルないし五〇センチメートルの踏み台を設置すれば作業可能であるし、整理、検査、袋詰め等の作業は身長の短いことは何らのハンディにもならない。

また原告がもっている技能は「タイプ製版」である。被告より一か月平均五万二、四二〇円しか賃金を与えられないため、原告は到底生活できずやむなくタイプ製版の内職をやらざるをえなかったのである。被告が原告にタイプ製版の仕事をさせたことはあるが、これも他の業者に注文するより安い工賃でやらせていたものであり、この面でも被告は原告を搾取していたものである。

3  同第3項につき

原告が被告より退職金及び解雇予告手当を受領したことは否認。原告が本件解雇を承認したとの被告の主張については争う。

五  再抗弁

1  本件解雇は原告のかつての労働組合活動を理由とした不当労働行為である。すなわち

昭和四一年二月長野県機械金属単一労働組合(単一労)が、つづいて上伊那支部がそれぞれ結成され、そのころ被告社内でも二〇数名をもって同労組同支部の分会(以下単に分会という。)が結成されたが、被告では過去昭和三六、七年ころ労働組合が結成されたところ、被告からの攻撃によって短命で終ったことがあり、被告が労働組合の存在自体を嫌悪していることが明らかであったため、分会は公然化せず、「あらぐさ分会」と称した。

原告は単一労上伊那支部及び分会結成の準備段階からこれに参加して分会結成と同時に分会長となって多くの組合活動を行い、被告に勤務する労働者のうち約半数を組織するまでに至ったが、原告はそのため解雇、賃金差別の攻撃を受けつつも、分会が事実上活動を停止するまで分会長の任にあって、被告内における組合活動の中心にあったのである。

すなわちこの間原告は分会長の立場で賃金、一時金の要求、職場環境改善要求(シンナーによる健康問題)、労働時間短縮要求、分会機関紙「あらぐさ」の発刊と職場内での配布等の活動を活発に行った。そしてこのような組合活動の中で、被告の従業員約七〇名中四〇名以上の者が組合員となった昭和四三年年末一時金闘争に当って、闘争を一層効果的にするため分会長である原告が公然化したところ、被告は昭和四四年二月八日原告に対して解雇通告をなした。右解雇の理由は、表面上は自動化によって原告のすべき仕事がなくなったからというものであったが、真実は原告の右のような組合活動を嫌悪した不当労働行為であったため、組合の抗議によって被告は同月二七日右解雇の撤回と原告をその納得のいく職場に配置することを約した。ところが被告は原告の配置について原告の申入にもかかわらず誠意ある検討をせず、同年三月五日になってようやく塗装部門への配置を決めた。そして被告は組合を否認する態度を露骨に打出し、分会が右解雇撤回直後に要求した賃上げの要求に対して団交を拒否し、団交を開いても誠意をもって応ずることをしなかったし、原告に対しても右解雇撤回を再雇用扱いにして、昇給、夏季一時金、有給休暇等について差別的取扱いをし、これに対して、原告が抗議をすると被告の工場長らは原告に対して脅迫的、侮辱的言辞を弄し、ついには団交を拒否するに至り、同時に組合に対しても種々の激しい切り崩しを行った。原告はこれらの状況下においても組合強化のために奮闘したが、被告の切り崩しによって、分会はついにその活動を停止するに至ったのである。

しかし原告はこれで組合活動をあきらめたわけではなく、いつかは組合を再建することを企図していた。これに対して不況を口実に人員整理、合理化、労働強化を強力に押進めようとした被告は、これをスムーズに行うためには労働者からの不満、抵抗さらには組合の再建があっては困るので、右のような組合活動の経歴から見てその中心になることが確実視された原告を先制的に職場から追出すことを謀って本件解雇を行ったのであって、本件解雇は右のような不当労働行為意思に基づいてなされたのがその本質である。

2  本件解雇は極めて安易に、また曖昧な理由によって行われた。すなわち解雇は被解雇者にとって、特に原告のように長年にわたって同一企業に勤務している者にとって死命を制せられるほどの重大事であることはいうまでもないが、被告は前二回の解雇と同様、事前に原告の意思を聴取し解雇の与える影響について調査もしなかったばかりか、関係部課長の意見を聴取したり、他に適当な職種があるかどうかについて検討もせず、戸田常務の独断で本件解雇を行った。

また本件解雇の正当性の理由として被告の挙げる昭和四九年後半の不況による大巾の受注減についても、その実態は暖昧であるし、被告は昭和五〇年一月不況による解雇を避ける目的で制度化された雇用調整給付金も受領しているのである。そして被告の営業状態は昭和五〇年四月になると回復し、同年五月からは残業も再開されたうえ新規に従業員をカラーコード、塗装部門に七、八名採用したり、一たん解雇した従業員のうち六名を順次復職させる等の措置をとらなければならない状況になり、受注量も同年五、六月ごろには不況前の一か月一、三〇〇万本台に回復しているのであるから、不況を理由とする本件解雇は不当である。

そればかりでなく被告は同年一〇月には敷地確保費用及び建設費として合計金一、一〇〇万円を支出して音響工場を完成させ、その後も多額の投資をして拡張工事を行ったが、右音響部門のために同年五月に五〇名、同年八、九月に五〇名の新規採用をしているのであって、これらは同一会社組織内なのであるから、人事異動は可能であった筈であり、コストダウンを目的とする本件解雇はこの事実からも認められないものである。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁第1項につき、被告が原告と賃金問題で交渉したこと、被告が昭和四四年二月八日原告に対して解雇通告をしたが、これを撤回したことは認め、その余は不知ないし否認。

2  同第2項、争う。

本件の場合のような被告の経営の危機に伴う人員整理に当って、原告をその対象者としたことが解雇権の濫用となり許されないならば、私企業は崩壊し、他の従業員は職を失って路頭に迷う結果となる。本件解雇の背景を見れば、本件解雇は止むをえない整理解雇であった。

第三証拠(略)

理由

一  原告は昭和三八年一〇月三〇日被告に雇用され、以後主として抵抗器製造工程中のカッティング作業に従事していたところ、被告は昭和五〇年一月二四日原告に対し解雇の意思表示(本件解雇)をしたことは当事者間に争がない。なお被告が株式会社であることは当事者間に争がなく、(証拠略)によれば、被告は電気機械器具製造販売及びこれに附随する一切の事業を目的とし、資本金の額は金四、五〇〇万円(いずれも昭和五〇年一〇月二〇日現在による。)であることが認められる。

二  本件解雇の効力

1  本件解雇に解雇事由が存在するかどうかについて

(一)  (証拠略)によれば、被告には就業規則が存在し、その第一五条で、「次の各号の一に該当する場合は解雇する。」として、第一号「精神又は身体の障害により就業に堪えられずその回復の見込みがないとき」、第四号「技倆、能率が甚しく低劣で配置転換する見込みなく、従業員として不適当であるとき」、第五号「事業の縮小、人員過剰等により事業上止むを得ない事由が発生したとき」の各場合が規定されていることが認められる。

(二)  本件解雇に右事由が存在したかどうかについて

(1) 当事者間に争いがない事実、(証拠略)を総合すればつぎの各事実が認められる。

被告では昭和四八年暮のいわゆるオイルショックの影響で、昭和四九年七月ないし八月ごろから受注の減少で従来抵抗器月産一、三〇〇万本ないし一、五〇〇万本の生産(売上高約二、五〇〇万円ないし二、六〇〇万円)が漸減しだし、特に輸出関係では受注が全く途絶えることもあったりして同年一〇月ごろには月産六〇〇万本ないし七〇〇万本程度に落ち込んだ。そこで被告代表者及び専務取締役久保村荘一は東京に駐在して受注先の開拓等に努めたがその効果はなく、同年一二月には受注量は五〇〇万本に落ち、しかも単価も同年夏ごろ一円八〇銭のものが一円以下になり、一方在庫は約二、〇〇〇万本に達して、資金繰りにも苦しむ状態に陥ったうえ、輸出関係の代理店からも輸出先の開拓の見込は全くないと断定される等受注の見通しは絶望的となって、被告の経営は危機状態に陥った。そこで被告は右危機を切り抜ける一手段として人員整理を行うこととし(当時右のような生産状況であったため本社工場七〇名の従業員中余剰人員はその約半数に達した。)、まず就業規則のうえでは存在しながら実際上は空文化していた従業員の停年制(男子五五才、女子四五才)を実行することとしてこれに該当する従業員一四名を同年末をもって退職させ、さらに病弱、怠休勝ち等で勤務成績が不良の者など八名の従業員に対しても退職を求めてその承諾をえて右一四名の者と同時に解雇した。しかし昭和五〇年一月になってもなお被告の受注量の減少傾向はやまず、従業員の余剰状況が継続したため、被告は同月さらに二名の従業員を各本人の同意をえたうえ退職させ、さらに欠勤が多かった二名の従業員を解雇したが、後記認定のような事情で被告においてひとり手動カッター作業に従事していた原告に対しても、手動カッターで行っていた低オームの抵抗器のカッティング作業も抵抗器の自動製造機械の改良によって自動機によって自動的に行うことが可能となり、手動カッターによる生産では採算に合わず、また手動カッター用の材料が外部から入手できなくなった(外部から入手できなくなった後は被告内で別に生産していた。)ので手動カッターを廃止せざるをえないが、原告の身体的特徴から労働災害防止上他への配置転換も不可能との判断をして、本件解雇に至った。ところで被告における状況は同年二月が最低で抵抗器の生産は月産約四〇〇万本、売上高も約四〇〇万円ないし五〇〇万円に落込む有様であって、被告は、従業員の整理のほか昭和四九年暮から昭和五〇年始めにかけての年末年始の休業も例年の約三倍に拡大し、同年一月下旬ごろから同年三月まで残った従業員も一週に三日しか作業せず、四日は休むといういわゆる一時帰休を実施(ただし被告は右一時帰休に対しては政府より失業保険法第二七条の二第一項、雇用保険法付則第二一条の規定に基づき雇用調整給付金の交付をうけた。)したほか、役員及び係長以上の管理職の賃金を一〇パーセントあてカットする等の措置を講じまた金融機関からはこの間に総計約一億円に達する融資を受けて危機を凌いでいたが、同年四月ごろから受注が増加しだし、同年六月ごろには月産約一、三〇〇万本程度に急速に回復し(ただし単価が回復しなかったため売上高としては一か月約二、〇〇〇万円程度の回復に止った。)、従業員に不足が生ずる事態となり、同年五月ごろから従業員の補充を始めたが、新規に七名ないし八名を採用したほか、そのころから昭和五一年にかけて前記停年制実施によって退職した者のうち五名を臨時工として順次再雇用し、また原告と同時期に解雇された者一名も一時雇用するに至った。なお被告は別の場所に音響工場を所有していたが、右不況の最悪時である昭和五〇年二月これを従業員とも他へ売却する交渉を始め、同年五月か六月ごろその交渉が成立して同所にあった子会社を含め三、五〇〇万円ないし三、六〇〇万円で売却したが、その得意先の要請で同年七月始めごろ新規に従業員約五〇名を募集して本社の一部で作業を始めた後、同年八月伊那市内に借地して音響工場建設に着手(費用は用地費とも計約五、六〇〇万円)、同年一〇月一日操業開始したが、その直前に再び約三〇名の従業員を新規募集した(なお右音響工場は昭和五一年には第二期工事を行って拡張した。)。以上の各事実が認められ、前記各証言及び原告本人尋問の結果のうちこれに反する部分は採用せず、他にこれに反する証拠はない。

(2) 原告が身長一〇八センチメートルという身体上の特徴を有することは原告の自認するところであり、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、その体重は二〇キログラムであり、腕の長さ、掌の広さ、指の長さ等も右身長に比例して小であることが認められる。

当事者間に争がない事実、(人証略)を総合すると、原告の被告内における職歴について、つぎの事実が認められる。

原告は被告に雇用されて以来手動カッター要員として勤務していた(ただし原告が手動カッター要員に限定して採用されたとは認められない。)が、右雇用当初は被告で使用していたカッターはすべて手動式であった(当事者間に争いがない。)ところ、昭和四二年ごろから昭和四三年へかけて自動式カッターが導入されて同年中にはほぼ入れ替えが完了し、その結果従来一五台の手動式カッターを一五名の従業員が担当していたのが、自動式カッター二〇台に対し従業員一交替四名ないし五名(二交替で合計約一〇名)で足りるようになり、余剰の手動カッター要員は他へ配置転換されたが、原告のみは前記のような身体的特徴から配転不可能との理由で昭和四四年二月八日解雇の通告がなされた(右手動カッター要員の配置転換と原告に対する右解雇通告については当事者間に争いがない。)。右解雇通告に対し原告及び原告が所属していた単一労(委員長訴外小林史麿)は被告に対し、右解雇は原告の組合活動を理由とする不当労働行為であるとしてその撤回を求めた結果、当時原告と同一町内に居住し居住町(長野県上伊那郡高遠町)の町会議員も兼職していた被告総務部長(当時)訴外小田切一の取りなしもあって被告は同月右解雇を撤回し、同年三月原告を塗装工程の係(二度ないし三度塗装を重ねるうちの下塗工程を担当)へ配転(右解雇撤回及び塗装係への配転については当事者間に争いがない。)した。ところが同年九月ごろ一度塗りで足りる新塗料(MT塗料)とそれに対応する新型式の機械が導入され、従来一五名ないし一六名を要した同工程の従業員は約一〇名で十分という状況になったうえ、右新塗料は粘性が強く又右新塗料を使用するために最適として採用された直径約八センチメートルのチューブ容器からこれを絞り出さなければならなかったため、被告は原告の掌の大きさと握力では右新塗料を取扱うことは無理と判断し、関係部課長の協議により、そのころまだ自動化が不完全であったため手動カッターを有する外部業者に下請させていた低オームの抵抗器のカッティングを原告に担当させるほかはないとの結論を経て再び被告内に手動カッターを据え付けて原告に右カッティング作業をさせることとした(そのため下請業者三業者中二業者への発注を取り止めた。)(原告がカッティング工程の係へ戻されたことは当事者間に争いがない。)(原告は右配置転換には異議なく従った)。以後本件解雇に至るまで原告は引続き手動カッターで低オームの抵抗器のカッティング作業に従事していたが、その間同抵抗器生産についても自動化が進み、昭和四七年には残る外部一業者に対する発注も中止し、昭和四九年七月ごろには完全自動化が可能となるとともに、それに伴って手動カッターに必要なリード線付材料(自動カッターには適さない。)を外部から購入することができなくなったため、被告はもはや手動カッターによる生産は採算がとれなくなったとして同月二〇日原告に対して再び解雇の通告をなした(右解雇通告については当事者間に争いがない。)。しかし右解雇通告に対しても原告及び前記単一労委員長小林史麿は被告に対して解雇撤回の交渉をし、同年末には自主的に退職する予定であるとの趣旨の原告の言もあったために右解雇通告は撤回(右撤回については当事者間に争いがない。)され、原告は引続き手動カッターで作業を継続した(手動カッター用のリード線付材料は前記のように被告内で製造することとなった。)。

以上の各事実が認められ、(人証略)のうち右認定に反する部分は採用せず、他にこれに反する証拠はない。

(3) 以上認定の各事実を基礎にして、本件解雇につき、前記被告就業規則第一五条各号に該当する事由があるかどうかについて検討すると、

(ア) 同条第五号

前記認定の昭和四九年一〇月ごろから本件解雇が行われた昭和五〇年一月下旬前後にかけての被告の状況、特に不況前に比較すると受注量は約三分の一に、売上高は約五分の一以下に低下した状況、しかも少くとも本件解雇当時はその回復の見通しは全く立っていなかった事情に照らせば、昭和四九年一二月の二二名の人員整理に加えて本件解雇当時においても、被告においては、一般的に、事業の縮小、人員過剰等によって事業上相当数の従業員の整理は止むをえない状況下にあったといわなければならない。

つぎに右のような一般的な被告の状況下において原告が専ら従事していた手動カッター作業の中止に合理的な理由があるかどうかについて判断すると、(人証略)によれば、抵抗器の自動製造機械は昭和四六年から昭和四七年にかけてさらに改良されて一人の従業員が一〇台の機械を見ることが可能となり、自動機による生産量と手動機による生産量の差は作業員一人当り一〇対一ぐらいに開いたまま本件解雇のころまで至っていることが認められ、右事実によれば自動化が遅れた低オームの抵抗器の製造においてもその自動化以後手動機による製造との能率の差は同程度に達していると推認でき(これに反する証拠はない。)、前記認定の抵抗器の単価の切り下げと相まって、当事者間に争がない本件解雇前三か月の平均賃金が五万二、四二〇円に過ぎない(かなりの低賃金といえる。)原告に従事させても手動カッターによるカッティング作業は明らかに採算に合わなかったと認めざるをえない。

そうすると前記のような被告の危機的な経営状況下で被告が手動カッターによるカッティング業務の中止に踏み切らざるをえなかった事情は肯認するのほかはなく、手動カッター部門においても事業の縮小とそれに伴う人員過剰が生じたというべきである。

以上、本件解雇当時、被告には同規則同条第五号の事由があったということができる。

なお前記認定のとおり、昭和五〇年四月ごろから被告の状況は改善に向い、同年五月ごろには従業員に不足を生じたりする等業績も顕著に回復しているが、被告において右のような近い将来における業績好転を本件解雇当時すでに予想していたか、あるいは予想可能であったのなら格別、そのような特段の事情の認められない本件においては右業績好転を遡って本件解雇の効力判断の直接の事由とはなしえないといわなければならない。

(イ) 同条第一号、第四号

右のような被告の状況下において、被告が原告をその整理の対象としたことについて就業規則上の適否を判断する。

前記のごとき原告の身体的特徴に照らせば、特段の反証のない本件では、被告主張のように五才ないし六才の児童に等しいかは格別、原告は通常人に比して体力、作業能力、特に作業可能の範囲等一般的な身体的能力において著しく劣り、かつその回復の見込はないものと認めざるをえないところである。

右のような原告の身体的特徴を前提にして配置転換の可能性について検討すると、(証拠略)を総合すると、被告の抵抗器製造は大略、〈1〉碍子焼成、〈2〉組立、〈3〉カッティング、〈4〉リード溶接、〈5〉塗装、〈6〉捺印(カラーコード)、〈7〉フォーミング、〈8〉包装、テーピング、〈9〉出荷検査の各工程を経て製品化、出荷させる(なお右〈2〉及び〈3〉の間に碍子選別、初抵抗選別の工程があるが、昭和五〇年一月当時人員は配置されていなかった。)が、右〈1〉の作業は重量かつ長尺物の運搬を要するので原告には作業不能であり、右〈2〉ないし〈8〉の各工程ではいずれも自動機によって作業を行うが、右各機械とも標準体格を有する作業員を基準にして製作、据付がなされており、担当者は通常の作業のほかに機械の不調、故障時にはその調整、移動等各種の姿勢をとったり体力を要する作業を行わなければならず、とくに〈2〉、〈3〉、〈4〉、〈5〉(昭和五〇年一月当時)及び〈8〉の各工程ではその各前工程から流れてきた材料をパーツフィーダーに投入して当該工程における自動機に送り込む作業を要するが、右各パーツフィーダーは少くとも床上一〇六センチメートル(これに上から投入する。)でしかも機械のかなり奥手の方にあり、原告でも高さ三〇センチメートルないし六〇センチメートルの踏台を使えば、作業は不可能ではないものの、その作業体勢は踏台の使用と腕の短さを補うために前傾姿勢をとらなければならないことによって著しく不安定であること、〈9〉の工程では、被告はその作業の性質上担当者についてかなり厳しい適格性を要件とし、以前から一般的にその適格を有する女性の中から選抜してこれに当てていたことが認められ、これに反する証拠はない。

ところで前記のとおり被告は本件解雇に当って原告については主として労働安全の見地から他への配置転換は不可能と判断したのであるが、事業者が労働災害防止について法律上責務を負っていることはいうまでもなく、労働災害防止のための措置は万全であることが要請され、しかも専門的知識、経験を要する事項(もとより労働者側の自由処分が許さる事項ではない。)であることに照らし、右のような責務を有する事業者がその責任において各職場の特殊性に応じて右の見地から特定の特性を有する労働者を配置し、又はこれを配置しない措置をとった場合、それが著しく不合理であって右措置の単なる口実に過ぎないと認められない限り、事業者の右措置は尊重されてしかるべきものである。これを本件について見ると、被告が原告の身体的な特徴に照らし労働災害防止の見地上原告につき自動機械の取扱を担当しなければならない右〈2〉ないし〈8〉の各工程へ配置することはできないと判断したことは、前記認定の事実の下において、これを不合理なものということはできないのである。また検査係の担当者についても被告が一定の基準を設けてその適格者を限定したことは、その職務の特殊性に照らし是認できないものではない。

なお仮に右〈2〉ないし〈8〉の工程の中で、あるいは〈9〉の検査係を含めて原告においてその適格性を有する職場があったとしても、本件解雇は被告の受注量が極端に減少し新たな人員配置の余裕があるどころか各職場とも人員整理を求められた中で行われたのであって、原告をいずれかの職場に配置転換しようとする場合は、その職場に従来から従事している労働者と置き替えるという措置に出でざるをえなかったものと推認されるのであって、その場合、人事権を有する被告に対して、従来の労働者を排して前記のような特殊性を有する原告を採れとまで求めるのは酷といわなければならない。

以上の検討によれば、原告には同規則同条第一号及び第四号に該当する事由ありといわざるをえない。

(4) そうすると本件解雇には被告の就業規則第一五条第一号、第四号、第五号のいずれに照らしても、それぞれ該当する事由があり、同規則上においてはこれを有効なものというほかはない。

2  不当労働行為との主張について

(証拠略)によれば、原告は昭和四一年二月単一労及びその上伊那支部が結成された際にはその準備段階からこれに関与するとともに、同時に被告内にも分会(あらぐさ分会)を組織してその分会長となったこと、分会ははじめ非公然だったが、昭和四三年一二月被告に対し、右分会の存在と原告がその分会長であることを公式に明らかにして公然化したこと、原告は右分会結成以後昭和四四年まで分会長として原告が主張するような多くの組合活動を活発に行ってきたこと、また昭和四二年四月の県会議員選挙において被告代表者が立候補した際は、単一労上伊那支部の決定に従って被告側からの圧力にもかかわらずこれに協力しない態度を貫き、右選挙における違反で被告の専務取締役が検挙された際も、その嘆願書に署名もしなかったこと、以上の事実が認められ、これに反する(人証略)は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実、特に昭和四四年二月の第一回解雇通告については、分会の存在と分会で占める原告の地位を公然化した時期との接着性及び前記認定のような右解雇通告前後の状況に照らし、被告の不当労働行為意思の存在も疑われないでもない。しかし原告本人尋問の結果によれば、分会は昭和四五年ごろにはその活動を事実上停止したが、原告はそれ以前に分会長の地位を辞していて以後分会がいつまで存在したかも知らないほど組合活動から遠ざかっていた(〈人証略〉によれば、単一労による分会の指導は昭和四九年二月ごろまで行われていたことが認められる。)ことが認められるのであって、これに本件解雇が右第一回解雇通告より約六年の年月を経ていること及び前記認定の本件解雇に関する諸事情とを照らし合わせた場合、右のような状況にある原告に対して行われた本件解雇が右第一回の解雇通告時におけるのと同様の原告の担当すべき仕事がなくなったことを理由としているとの一事をもって、直ちに本件解雇の中に被告の不当労働行為意思を認めるにはその客観的、合理的根拠に乏しいといわなければならず、これは昭和四九年七月に行われた第二回解雇通告の事情を勘案しても同様であり、他にこれを認めることのできる証拠はない。

3  本件解雇の相当性

以上のとおり本件解雇には被告の就業規則上はその解雇事由ありといわざるをえず、しかして被告における不当労働行為意思は認め難いのであるが、前記認定のとおり、原告は特定の障害があるわけではないものの、その身体が通常人に比した場合、全般的に著しく小柄であるという特徴を有するのであり、そのため勤労能力にも限界を認めざるをえないのであって、身体障害者にも準ずべき社会的弱者であることは否定できない。前記のようにその間に種々の経緯はあったとはいえ、一一年余の間勤続したこのような社会的弱者に対し、不況時企業側の必要とする合理化の一環としてその担当していた仕事を廃止し、他への配置転換が困難という理由で企業が軽々に解雇権を行使することが許されるかどうかという点が改めて問われなければならない。

この点について、右のような社会的弱者が雇用の機会に恵まれないであろうことは容易に推測できるのであって、従って右弱者に対しては社会的にできるだけの手厚い保護が求められ、同趣旨はこれを現に雇用している企業にも要請されてしかるべきものである。しかし一方企業に対しては何にもましてその存在と活動を継続すべきことが、企業自身のためのみならず、当該企業で勤労する労働者及びその家族全般並びに地域社会全体のために要請されるといわなければならない。

本件の場合、前記認定のとおり、本件解雇の行われた昭和五〇年一月現在、同月までの受注量及び売上高の極端な減少状況並びに右時点における将来への悲観的見通しに照らせば、被告をとりまく状況は危機的といっても差支えなく、もっともこのような被告の状況に対しては金融面及び社会政策面(雇用調整給付金の交付)での保護がなされたことまた前記認定のとおりであるが、だからといって右状況下において被告自身その存続のためのきびしい合理化努力を怠ってよいといえないことは当然であり、右趣旨における企業努力の中で就業規則上許容される場合に、企業に対する貢献度が現に少なく或いはその期待の乏しい従業員を解雇した中に、原告のような社会的弱者が含まれていたからといって、これを総合勘案すべき諸般の事情の一つとするのは格別、右一事のみをもって直ちに一私企業に過ぎない被告において解雇権の濫用等社会的相当性を欠く措置を敢えてとるに至ったと非難するには躊躇を感ぜざるをえないのである。

よってなお本件解雇前後のその他の事情に関して検討を進めなければならない。

(人証略)によれば、被告では昭和五〇年一月被告の前記のような危機的状態に対応するため幹部による生産会議が頻繁に開かれたが、右会議の中で原告の解雇問題が上程協議されたことがあったことは認められる。しかしその際に前記認定のように前年被告に対して一たん自主退職する予定である旨を告げながら同年中に退職しなかった、あるいは退職できなかった原告の事情、また社会的弱者である原告を不況下において解雇することの当否等について真摯な協議、配慮がなされた形跡はないのであって、本件解雇がかなり安易になされたことについては否定できないところである。しかし後記認定のように原告は当時すでに被告に勤務する傍らタイプ製版の仕事を行っていたが、被告はその旨を承知していた事情があり、また原告の自主退職を期待していたためと推認されるものの、昭和四九年一二月における第一次の解雇に原告を含めなかった事情をも顧慮すれば、これを厳しく評価すること又困難である。また前記のように本件解雇より約三か月後の昭和五〇年四月には被告の業績は回復しだし、同年五月には早くも人員不足の状況さえ発生しているのであるが、(証拠略)によれば、被告は昭和五二年一二月ごろにも大きな不況の波に襲われて休業率七八・九パーセントの一時帰休の止むなき事態に陥っていることが認められるのであって、要するに被告も景気の波に翻奔される一地方中小私企業に過ぎず、このような被告が一時期の不況の際にとった措置を事後の景気回復時の状況から見て強く不当視することは酷といわなければならない。

これに対して原告側の事情については、原告がタイプ製版の技能を有していることは原告の自認するところであり、(証拠略)を総合すれば、原告は被告に勤務する傍ら昭和四五年ごろから自宅でタイプ製版の仕事を始め(自宅に北原タイプと表示した看板を掲げている。)、昭和四八年ごろからは被告の関係者もこれを利用するようになり、昭和四九年七月ごろには高価な機械も入れて自立する計画を立てていたことが認められ(原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用できず、他にこれに反する証拠はない。)、これによれば、原告は必ずしも被告からえる給料のみに頼って生活を維持していたわけではないことが推測されるのである(ただし原告本人尋問の結果によれば、右タイプ製版の仕事から得られる収入はさしたるものではないことが認められる。)。

さらに本件の判断において無視できないのは原告が本件解雇後間もなく被告より解雇予告手当及び退職金等を受領したと認められることである。すなわち(証拠略)によれば、被告は本件解雇に当って所定の解雇予告手当、退職金等を原告に提供したが、原告はその受領を拒否し、その翌日から約一週間の間に五回ぐらい被告方へ行って本件解雇の撤回と就労請求を行ったが、本件解雇の約二〇日後である昭和五〇年二月一二日被告の工場長である戸田保利が原告の自宅を訪問し、原告の父親も立会の席上で、各別の袋に入れた同年二月期の給料(同年一月期締切後本件解雇日までの給料と推認される。)、解雇予告手当、退職金、退職加算金、旅行預金合計金一五万七、八六〇円を提供したところ、原告は特段の異議を述べることなく受領し、戸田の予め用意した領収書二通(一通は総計金額、一通は領収金の右各内訳をそれぞれ記載済)に署名押印したこと、ただし原告はその際右各領収書に賃金の一部として受取った旨をそれぞれ付記し(戸田は原告宅では右付記に気づかず、被告方に戻ってからこれに気づいたが、そのまま右各領収書を事務室金庫に保管した。)、同月二二日には被告に対して内容証明郵便をもって本件解雇を撤回するよう申入れ(ただし右受領金返還の意思表示はしていない。)、また同年五月二回ほど被告方へおもむいて同じく本件解雇の撤回要求を行ったが、その後被告とは特段の交渉を行うことなく経過した後、同年一二月一三日に至り本件訴訟を提起した(本件記録上明らかである。)こと、単一労も本件解雇直後及び同年二月下旬ごろに合計三回被告に対し本件解雇撤回の交渉をしたことがそれぞれ認められ、これに反する証拠はない。右認定の戸田の前記金員提供の態様及び同人が持参し原告が署名押印した領収書の記載に照らせば、右金員は明らかに債務者である被告の指定した前記各債務に充当するものとして授受されたと認めるべきである。もっとも原告が右金員授受の前後に被告に対し本件解雇の撤回を要求していた事情及び右各領収書に前記但書を付記した事実に照らせば、右一事をもって原告が本件解雇の効力の承認を前提とする右各請求権の存在を認めたものであり、従って原告は本件解雇の効力を争う資格を失ったとか、信義則上もはや解雇無効を理由に雇用関係の存在の主張をしたり、雇用契約上の権利を行使することは許されないとか解するのは相当でない。しかし(人証略)によれば、原告の行った右各領収書への付記は、単一労を結成する過程で各関係職場でかなりの被解雇者が出たが、その際不用意に退職金を受領したために解雇の効力を争うことを断念せざるをえなかった例が多くあったので、退職金は本来受領を拒否すべきであるが、止むをえず受領するときは解雇の効力を争う余地を留保するため賃金の一部として受取る旨を付記せよとの単一労の指示に従ったものと認められるところ、原告は前記のとおり単一労結成の準備段階からこれに参加し、以後かなりの期間組合活動を行っており、又解雇通告も本件解雇までに二回経験済であったのであるから、右のような領収書への付記は解雇の効力を争うためには第二次的なものに過ぎず、本来は退職金等解雇の効力の承認を前提としてはじめて受けうる給付は受領すべきでないことを十分に知っていたものと推測されるのであり、また右受領金額は原告の本件解雇前三か月の平均賃金五万二、四二〇円の約三か月分に相当するところ、仮に賃金の一部とすれば、右受領日にはその請求権は全く発生していないか、発生している部分についてもまだその履行期はかなり先であり(被告における賃金支払期日が毎月二九日―二月は二八日と推測される―であることは当事者間に争がなく、かつ昭和五〇年一月分については別途に受領済であったことは弁論の全趣旨上明らかである。)、一方右受領日が本件解雇の日から約二〇日後であった事実に照らせば、原告において本件解雇に対する処し方について熟慮期間に不足したとは認められないし、かといって原告の生活が窮迫状態に陥っていたとも又認められないのであって、従ってその受領が止むをえなかったとはいえず、そうすると原告は特段の理由及び必要性がないのに、右退職金等を受領することにより、本件解雇に伴う利益を先ず享受してしまったものといわざるをえないのであって、軽率のそしりは免れないところであり、原告が本件解雇の効力を争おうとする場合、信義則上原告にとってマイナス評価を避けることはできないのである。

以上の各事情に前記認定の諸般の事情をも加えて彼此比較検討すると、各種の難問はあるものの、なお本件解雇をもって解雇権の濫用であるとか、被告においてその有効性を主張することが社会的相当性を欠くとまではいうことはできない。

三  以上本件解雇は被告の就業規則上有効であり、他にこれを無効とすべき事由は認められないことに帰するので、原告と被告間の労働契約は昭和五〇年一月二四日本件解雇により終了したというべきであり、従って右労働契約の存続を前提とする原告の本訴請求はいずれも理由がなく、よってこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 国枝和彦)

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